パラグアイ共和国アルト・パラナ県イグアス市(イグアス入植地)国道PY02号線の41キロ地点、サン・バレンティン地区にある。同寺は、1961年の日本・パラグアイ移住協定に基づき入植した日本人移住者とその子孫によるコミュニティの精神的支柱として、宗教的伝統の維持と実践を目的に設立された。日本仏教の曹洞宗(禅宗)に属する寺院である。
寺院の正式な名前は、「山号(さんごう)」と「寺号(じごう)」で構成。山号:真応山(しんおうざん) 「真実(阿弥陀如来の教え)に応える」という意味が含まれ、移住の地において、変わることのない真実の教えを拠り所とする姿勢が示めしている。寺号:拓恩寺(たくおんじ) 「拓」と「恩」という二つの象徴的な文字が組み合わされている。拓(たく): 「開拓」、原生林を切り拓き、一から生活を築き上げたパラグアイ移住者の歩みを象徴。恩(おん): 「報恩」、生かされていることへの感謝、先人への感謝、そして仏の慈悲に対する報恩の心を表す。拓恩寺は、1997年(平成9年)に、それまでの「イグアス布教所」から昇格し、寺号公称が認められました。苦難の歴史を刻む: パラグアイへの移住、特にイグアス移住地の初期は、原生林との戦いであり、筆舌に尽くしがたい苦労があった。この名前は、単なる宗教施設としての名称ではなく、「この地を切り拓いてきた(拓)のは、自分たちの力だけではなく、多くの支えとご縁(恩)があったからである」という移住者たちの謙虚な信仰告白でもあります。 異国の地で家族を養い、亡くなった先祖を弔い、次の世代へ日本の心と仏教の教えを繋いでいく。その「開拓の精神」と「感謝の念」を忘れないようにという願いが込められている。
拓恩寺の現在の寺院建物が完成し、落慶(らっけい)法要が執り行われたのは2015年12月10日で、2025年12月に設立10周年を迎えた。寺院建立の構想自体は2011年頃、札幌市の薬王寺住職である田中清元師が同地を訪れ、入植地住民との間で寺院建設の機運が高まったことで具体化した。その後、イグアス入植地の全200世帯からの寄付と、日本国内の有志による支援によって建設が進められ、2014年から本格的な工事が開始された。設立の経緯を遡ると、1961年の入植開始以来、日系人コミュニティ内では長らく本格的な仏教寺院の不在が課題となっていた。それまでは各家庭での先祖供養や、ブラジルからの巡回僧による法要に頼っていたが、移住50周年(2011年)を機に、日本文化の伝承と精神的拠り所としての自前の寺院建立を求める声が一段と強まった。2015年の本堂落慶に続き、2016年には庫裏(くり)や山門が次々と完成し、現在の伽藍(がらん)が整えられた。歴代の体制については、開山以来、建立に尽力した田中清元師が初代の住職(兼任)として運営の基礎を築いた。その後、2022年12月からは、ブラジル出身のショウエイ・バプティスタ・ド・ナシメント師が正式な住職として赴任している。同師は、日本の大本山總持寺で8年間の修行を積んだ後、パラグアイ初の曹洞宗国際布教師として任命され、現在に至るまで日系人および現地住民への布教活動と寺院管理を担っている。
(参考)
曹洞宗(そうとうしゅう)は、鎌倉時代に道元が中国から伝え、瑩山が広めた禅宗の一派。坐禅を組む「只管打坐(しかんたざ)」を基本修行とし、日々の生活すべてを仏の行いと捉える。本尊は釈迦牟尼仏(お釈迦様)、大本山は永平寺(福井)と總持寺(横浜)。





















